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治療院ストーリー

生い立ち

私は1966年に福山市鞆町で生まれ、父の仕事の転勤で広島、東城、福山と移り住みました。祖母からは優しさを父からは寛大さを母からは思いやりをたっぷり頂きました。3人とも他界しましたが私の中には今も息づいています。

学生時代

私は体を動かすことが大好きで小学生の時は「ストロングボーイズ」という名の野球チームで毎日汗をかいていました。仲の良かった友達とピンクレディーの「ペッパー警部」を振り付きで歌った思い出があります。

中学、高校の時はバスケットボール部に所属していました。家族で旅行に行くときはボールを持参してドリブルしていました。

小学校5年生の体育の授業でポートボールの試合中、ジャンプ着地で足首を捻ってしまいました。きちんと治さなかったため中学、高校で捻挫を何度も繰り返しました。タイムマシンがあれば5年生の私を今の私が治療したいと思います。

学生時代バスケットボール

足首の治療で通っていた接骨院の先生にあこがれ、治療師になることを決めました。高校卒業後、東京の専門学校「長生学園」で学び、「あんま、マッサージ、指圧師」の国家資格を取得しました。その後、横浜の整形外科「長生医院」で5年間お世話になり、1日100人前後の患者さんが来る中で治療法と診断法を学びました。

その後、縁あってロッテマリーンズに3年間、アビスパ福岡に2年間、東福岡高校サッカー部に年末の選手権だけ4シーズン、トレーナーとして活動しました。雪の国立競技場、対帝京戦をベンチから観られたのは寒かったけど良い思い出です。

1996年に福山で治療院を開き、地元のサッカー、野球、ラグビー、バレー、バスケットなどのチームに出向いてトレーナー活動をしました。またシニアのソフトボール、バスケットボールのチームに参加して、自ら体を痛めて研究しました。

1998年に福岡で出会った妻と結婚しました。5歳下の猪年で気が強く、喧嘩すると負けます。おしゃれや料理はセンスが良く、何か選ぶ時は相談しています。いつも明るい性格に助けられています。

トレーナー

2000年に娘が生まれました。小学生までは一緒に一輪車をしたり、ボールで遊んだりしていました。とても凝り性で縄跳びや鉄棒は超人的な技を見せてくれます。中学で800mと駅伝を、高校は棒高跳びを頑張りました。娘のおかげで地域の方との交流が増えました。

私は52歳の時、腰の骨に細菌が入り、腰椎2番3番が潰れてしまいました。2か月の入院と骨の間に人工骨を入れてボルトでとめる手術を行いました。立つこと、歩くことが出来ない時期があり、当たり前のことがどれだけ有り難いか、そして、沢山の人に支えられて今があることを思い知りました。

棒高跳び

これからは地域に役立つ存在になれるよう、日々精進して参ります。どうぞ末永くご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

石井長生治療院
院長 石井 信夫

石井長生治療院 営業時間

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Tel084-928-5839

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〒720-0076 広島県福山市本庄町中3-1-13
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